前の投稿↓↓↓の続きになります。
2度目の違和感
1度目の手術が成功し、
日常生活も全回復!
飲み薬はたくさん出ていたけど
症状に苦しむ生活に比べたら
どうってことありませんでした( ̄▽ ̄)
仕事も復帰し、プライベートでは、
同棲していた彼氏と婚約をしました!
そんな中の2018年冬。
事態は一変しました。
「なんか苦しい。」
またもや、最初の違和感は
些細なものでした。
病院に行くも異常は見当たりません。
咳が止まらず、風邪かなと思いつつも
1度目のことがあったので、
大きな病院で一週間ほど
検査入院をすることになりました。
ほとんどの家事はわたしがやっていたので
この時は多めにご飯作って冷凍したり、
洗濯の仕方を彼に伝授したり笑
1度目よりも体に
余裕があったと思います。
検査入院
検査入院初日。
滞りなく初日の検査が終わり、
夕方、仕事終わりの彼が
面会に来てくれました。
30分ほどたわいも無い話をし、
笑ってバイバイをしました。
彼が病室を後にしてから数分後、
お医者さんと看護師さんが何やら
慌ただしい様子でわたしの病室に
駆け寄ってきました。
「婚約者さん、もう帰っちゃった?」
優しい落ち着いた言い方でしたが、
「ああきっと
何か悪かったんだ」
そう思いながら
「面会終了時間で帰りました」
と答えました。
「すぐに呼び戻してください」
「一緒に聞いてもらいたいお話があります」
わたしはすぐに電話をしました。
彼はまだ病院の駐車場にいて
すぐに戻ることができました。
彼が戻ると病院内1室に
2人で案内をされ、
お医者さんの一言目でした。
「今すぐ手術が必要です。」
耳を疑っている中でも話はどんどん
先に進んでいきました。
彼は、わたしの家族にすぐに来るよう
電話をするため退室しました。
その間も話がありましたが、
正直あまり覚えていません。
お医者さんの話の内容は
- すぐに手術が必要なこと
- この病院では手術に対応できないこと
- 2回目の切開の危険性のこと
- 心臓の状態(わたしの心臓の状態についてはまた詳しく書きます)
話が終わるとすぐに対応できる病院への
搬送準備が開始されました。
その間も絶対安静でいつ容態が
変わるか分からない恐怖との戦いでした。
救急車で搬送、
彼は自分の車で移動しました。
手術先の病院に着くとすぐにICUに
運ばれ、検査が開始されました。
1回目手術をした病院と違う病院なので
詳しく検査をしました。
検査と手術の準備を
同時進行で行っている中
わたしの母、父、姉が到着。
家族の顔を見た瞬間、涙が止まりませんでした。
この時点で日付が変わっていたと思います。
2度目の手術
彼と家族に手術の説明がありました。
「成功率は、50%」
わたしにも詳しい手術の説明が
ありましたが、
ほとんど覚えていません。
1番ショックだったことは、
手術の成功率が50%ということよりも
子どもが産めない心臓
になるということでした。
前記事に書きましたが、
わたしは子どもが好きで保育士です。
いつか自分の子どもを育てたいという
夢がありました。
そんなわたしには、
とても辛く悲しい宣告でした。
もちろん、絶対に嫌だ
と反対をしましたが、
「まずは自分の命」
と最終的には家族に説得される形で
手術に入りました。
心臓の手術で子どもが産めない体になる
理由についてはまた書きたいと思います。
15時間にも及んだ手術は
50パーセントの壁を乗り越え、
お医者さんのご尽力のおかげで
無事に
生きて戻ってくることができました。
2度も助けてくれた日本の医療には
感謝の気持ちでいっぱいです。
手術前のプチ後悔
1度目の手術後、
日常生活を取り戻していた
わたしは、ネイルをしていました。
ところが、手術中の血中酸素の計測は
大体の場合が爪から取ります。
ネイルをしていたわたしは
家族にお願いして
夜中でもやっているドンキに行ってもらい
ネイル落としを
買ってきてもらいました。
1度目の手術を経験して
わかっていたことなので
「ああちゃんと
しておけばよかったな」
と後悔しました。
ここまで読んでいただきありがとうございました。次の記事では、術後のことを中心に書きたいと思います。
コメント
I really like it whenever people get together and share opinions.
Great website, keep it up!